模型飛行機の素晴らしさをもっと知ってもらうために

ホーム模型航空アーカイブズ >1973年R/C世界選手権レポート        















模型航空アーカイブズ








国際航空連盟










   
 ラジコンの世界選手権初参加が1962年のイギリス大会。それから11年の歳月が流れました。日
本の模型界にとってエポックメイキングな出来事が起こったのです。それは欧米主流であったラジコン
模型飛行機の世界で、着実に力をつけてきた日本が、1973年のイタリア大会で、吉岡嗣貴選手の世
界選手権で日本人初の金メダルを、そして同時に団体優勝をも成し遂げたのです。
 記憶に残るこの出来事を、模型航空アーカイブズで振り返ってみましょう。世界選手権のレポートは
同行していた本多律理氏によるもので、1973年11月号のラジコン技術誌に掲載されていたもので
す。掲載にあたっては、電波実験社、本多氏の了解をいただきました。       (全4話)                                         
                                          
                            
                  
                  



 
−第3話



日本に個人、チーム優勝の栄冠が…
 1973年RC世界選手権大会レポート

    1973年9月11〜16日 イタリア・ゴリチア        本多律理 
                                          
                 

9月14日
第2ラウンド

 上記の表でお分かりのように、今回共産圏からチェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラピア、ブ
ルガリアが初参加しました。これらの国では無線機が入手しにくく、RC用エンジンのよいものがなく
、将来に侍たねばならないというのが、選手やチーム・マネージャーたちの一致したコメントでした。
自由主義国のポルトガル、イスラエル、ギリシャも初めての参加です。
 第2ラウンドでも昨日と同様、プレットナー氏は抜群の成績です。マット氏は自己の本領を発揮し始
め急速に追い上げて来ました。ソーデン氏も依然として好調です。このため、吉岡氏第4位、奥村氏第
5位、そして高橋氏は第12位となり、前途は楽観を許せぬ形勢となってきました。 
 本命の1人と目されているマーチン氏(アメリカ)や、英国人気取りのないナイス・ガイのパーチ氏
(イギリス)もぐんと上がってきました。チーム順位は、4位まで第1ラウンドと変わらず、5位に西
ドイツが入りました。

   

 個人順位(2R)
1.  プレットナー   A
2.  マット      FL
3.  ソーデン     CDN
4.  吉岡       J
5.  奥村       J
6.  クリステンセン  CDN
7.  マーチン     USA
8.  バーチ      GB
9.  バスクリニ    I
10.カビュイン    B

 チーム順位(2R
1.日本  2.カナダ  3.オーストリア 4.アメリカ  5.西ドイツ

 
順位決定に関する確認事項

 ここで「ボレッチノ」に書かれている注意事項の中から重要なものを書き抜いでおきましょう。すでに
、大会案内に明記されていた順位決定に関するCIAMの申し合わせ事項は、再び陪審員の間で討議さ
れ、4ラウンドと決勝を行なう予定が時間的にも天候の推移からも可能であると考えられたので、この
方式の採用か確認されました。「4回の公式飛行得点のうち最良の3個をとって合計し、個人順位とチ
ーム順位を決定する。さらに、上位5名について、9月16日、2ラウンドの決勝飛行を行ない、この
成績だけによって3名の入賞名を決定する。


9月15日
第3、第4ラウンド

 昨日すでに第3ラウンドの半分が済んだのですが、高橋選手は持ち前を発揮し第4位に飛躍しました
。しかし、早朝に飛行順の当たった吉岡選手は、分厚い雲に閉ざされた高温多湿の重い空気と、手がか
じかむほどの低温にわざわいされ、スピン最中にエンストを起こしてしまい、第12位に落ちました。
奥村氏は、この悪条件をみごとに乗り切り、第6位を保持しました。このラウンドにおける高橋氏の好
成績が功を奏して、日本チームの順位はトップを譲らず、点数の上でもよきチーム・ワークを示しまし
た。ところで、ここに突然、西ドイツのネッカー氏が第5位に現われたのです。彼は、このたびの日本
代表3名や、ブレットナー氏、ジーゼンダンナー兄弟、マット兄弟、ソーデン氏、ハードカー氏(イギ
リス)などとともに若く活気に満ちた選手です。比較的低速でおとなしく演技する点でも、他の若者に
似ています。ホイットリー氏(アメリカ)は、年輩格ながら地味で堅実に演技します。機体のニックネ
ームも初期と同じ「ダディ・ラビツト」を使い、今では10型機になっています。このラウンド、10
位の中に入って来ました。第1位の日本チームは別として、このラウンドでチーム順位が、がらりと変
わってしまいました。イタリア・チームは、個人的には日立たないにしても、バスクアリニ(11位)
、ペルトラニ(14位)、パヌイ(23位)の3選手とも無難な点数なので、チーム成績第4位にまで
進出してきました。



 
 送信機保管所。このテントは陸軍から借りたもの。後方の建物が
 格納庫で、機体保管所となっていた




 個人順位(3R)

   1.プレットナー   A
   2.ソーデン     CDN
   3.マット      FL
   4.高橋        J
   5.ネッカー      D
   6.奥村        J
   7.カビュイン     B
   8.クリステンセン   CDN
   9.ページ       USA
  10.ホイットリー    USA


 チーム順位(3R)
   1.日本  2. オーストリア  3.西ドイツ  4.イタリア  5.カナダ


第4ラウンド

  勢力伯仲し、熱気をはらみなから、引き続き第4ラウンドヘとなだれ込みました。吉岡氏は落ち着
いて飛ばしました。申し分のない演技です。彼が大会中の最高得点4740点を与えられたのは、この
ときでした。
 今までの全ラウンドを通して見られた現象ですが、吉岡、奥村、プレットナーと、出番が続いている
のです。このあたりでは、すわっている観衆も総立ちとなり、演技ごとに拍手が起こります。
 勝負ごとの好きなイタリア人は特に熱狂します。しかし、この3人が終わるとぞろぞろ引き上げてし
まい、次の選手の演技を見る人数が、ごっそり滅ってしまうのです。このラウンドは、土曜日の午後と
て観客も多く、この現象か一段と目立ち、喜ぶべきか喜ばざるべきか、ちょっと戸惑う有様でした。高
橋、奥村両選手も最終ラウンドを飾るにふさわしい好演技でした。
 4回公式飛行のうち最良3回の得点を合計した結果、プレットナー、ネッカー、吉岡、マット、ペー
ジの5選手か決勝に残りました。各ラウンドをふり返ってみますと、実にすざまじいばかりの戦いでし
た。「接戦」「激闘」「星のつぶしあい」・・・ことばでつくし切れません。
 高橋氏は6位、12位、4位と上下して最終成績は6位となり、わずかの差で決勝に入れなかったこ
とは惜しい限りでした。奥村氏も7位、5位、6位と、堅実な動きであったにもかかわらず、決勝には
ずれたのは残念というほかはありません。しかしチーム優勝は決定しました。
  この間のページ氏のばん回ぶりは目を見はるものがあります。19位、15位、9位でありながら
、第4ラウンドでも高得点を得、ついに決勝の5名の中に食い込んだのでした。ネッカー氏のしつよう
た追跡も恐るべきものです。17位、13位、5位、2位と駆け上がり決勝に飛び込みました。マット
氏は、非常に安定した点数を保って決勝に残りました。吉岡選手が3位で勝ち残ったのは当然の実力で
す。プレットナー氏は不動のまま第1位を守っており、この時点において、彼の優勝は確定的であると
思われていたのです。
 個人順位(4R)

  1.プレットナー  A
  2.ネッカー    D
  3.吉岡      J
  4.マット     FL
  5.ページ      USA
  6.高橋      J
  7.ソーデン    CDN
  8.ホイットリー  USA
  9.奥村      J
 10.カビュイン   B
 


 
競技場から機体保管所までは、小型マイクロ・バスが利用されていた
       

 

                  
                                  − 続く −
                 
                 
第1話 第2話 第4話

    
                                
   

                                                                              ページトップへ