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 ラジコンの世界選手権初参加が1962年のイギリス大会。それから11年の歳月が流れました。日
本の模型界にとってエポックメイキングな出来事が起こったのです。それは欧米主流であったラジコン
模型飛行機の世界で、着実に力をつけてきた日本が、1973年のイタリア大会で、吉岡嗣貴選手の世
界選手権で日本人初の金メダルを、そして同時に団体優勝をも成し遂げたのです。
 記憶に残るこの出来事を、模型航空アーカイブズで振り返ってみましょう。世界選手権のレポートは
同行していた本多律理氏によるもので、1973年11月号のラジコン技術誌に掲載されていたもので
す。掲載にあたっては、電波実験社、本多氏の了解をいただきました。     (全4話)                                         
                                          
                           
                  
                  



 
−第2話



日本に個人、チーム優勝の栄冠が…
 1973年RC世界選手権大会レポート

    1973年9月11〜16日 イタリア・ゴリチア         本多律理 
                                          
                  

デザイン所見

 格納庫内に並べられた「とらの子」の機体は、特に新しい設計の傾向を示してはいなかったようです
が、ただひとつ、ジーゼンダンナー氏(スイス)のものは例外でした。
 主翼の付け根が飛行中に動く可変後退翼なのです。最初見たときは、「ダラウプナー杯発明競技」
出場作品と勘違いしたのですが、これがエアロバチックス用のものと知って二度びっくりでした。機構
の秘密を守るため、翼と車輪を折りたたんだままうずくまっているこのオレンジ色の機体は、まことに
無気味な予感を与えるのでした。

 プレットナー氏(オーストリア)は例の「スーバー・シクローリー」に、数学専攻の学生にふさわし
く、細部のくふうを施していました。ラダー、エレベーター、エルロンのキャリブレーションを勘に頼
らず、小さな突出部によって一目瞭然に出していましたし、主翼付根付近にフラップを設け、着陸時ば
かりでなく空中曲技にも使っていました
 
←話題をまいたB.ジーゼンダンナー氏の可変
後退翼機「サラマンダー」 主な緒元は
全幅・・1200mm〜1900mm 
全長・・1400mm、 
重量・・・3800g、主翼翼面積・・・58dm2
エンジン・・ウエブラ61スピード、
設計者はジーゼンダンナー兄弟

       
 マーチン氏(アメリカ)は比較的薄い断面の主翼をもった中翼機で参加しました。中翼形式を採用し
た理由は先端をしぼった尾翼とともに、抵抗の中心をできる限り胴体のスラスト線付近に集中するため
という説明でした。
 注目のページ氏(アメリカ)の機体は、例の「マッハU」を基本としたもので、機首付近をわずかに
変えた予備機も参加していました。 マット氏(リヒテンシュタイン)は「スーパー・スター」をやや
モディファイした機体をもっていましたが、このスタイルを模倣する機体は非常に多く、日本と同様、
ヨーロッパにおける彼のデザイン(設計)の影響の大きさを感じさせました。
 今回新たに参加した数ヵ国の共産圏選手のものも含めて、おとなしい伝統型かスーパー・スター型の
いずれかに分類できる、変わりばえのしない機体群の中にあって、吉岡氏の「ブルー・エンジェル」は
、唯一の後退角をもった機体でした。現代的なスタイルの機体による現代的なエアロバチックスといい
、設計者加藤昌弘氏の理念が、今このゴリチア大会において結実されるのだということを、ひそかに予
言しているかのようでした。
 この日、検査と受付を終了した参加選手は78名、参加国28カ国.RC世界選手権大会史上最大の
数字を記録しました。ゴリチア飛行場の上に夜のとぱりが降り、格納庫に収められた150をこえる模
型は、静かにそのときのくるのを待ちました。
  
  送信機や採点したジャッジペーパーの運搬は軍隊がうけもち、
  ジープを使用していた
     
  

9月12日
公式テスト飛行

 競技会案内によれば、各国チームに45分問のテスト飛行が与えられることになっていましたが、こ
れか少し変更されて、競技名1名について15分間、その順序は本番競技飛行どおり、本番において使
用される2つのフライト・ラインにおいて行なわれることに決定しました。参加機多数のため、1時間
早く始められることになりました。夏時間が使われているとはいうものの、午前6時開始というスケジ
ールを毎日続けるのは、大いに苦痛であろうと思われました。新たに発表されたこの日のスケジュール
は次のとおりです。

  6:00 送信機回収開始
  6:40 送信機回収終了
  7:00 公式テスト飛行開始
 11:30 休憩 
 11:40 ゴリチア航空クラブ会長のあいさつ
 11:50 参加国国旗掲揚
 12:00 昼食
 13:00 公式テスト飛行再開
 19:30 テスト飛行終了と送信機返還
 20:00 ゴリチア城へ出発
 20:15 城内においてゴリチア市長の歓迎
 21:00 空軍本部において説明会

 さて、各国選手のテスト飛行が始まると、たちまち下馬評が飛び始めます ― 曰く、プレットナー
氏は大したことはない、マット氏も不調のようだ、ページ氏のような大きな演技は見たこともない、ジ
ーゼンダンナー氏の折りたたみ翼は恐るべきものである、うんぬん・・・。
 開会式は、儀式好きの日本人にとって、あっけない印象を与えました。スケジュール表には国旗掲揚
とありますが、旗はすでに初めから上がって風にはためいており、選手、チーム・マネージャー整列せ
よという指示があっても雑然と集まったにすぎません。
 ゴリチア航空クラブ会長エネゴ・ロダッチ氏のあいさつも簡単そのもので、ざわざわしているうちに
終わってしいました。FAI旗だけが、旗手によって掲揚されたのですが、合図も号令も音楽もないので
、印象的でありません。 
 しかし、ゴリチア航空クラブの会員ナルデニ、シルベストリ、ビアン3氏の操縦する実機の編隊飛行
のあとで行なわれたフリウリ航空クラブ・メンバーによる実機エアロバチックスは、使用機「ズリン」
の珍しさもあって、興味深いものでした。
 テスト飛行は夕刻まで続きました。明日以後の天気について、イタリア航空気象局が発表した予報は
次のようなものでした。「24時間以内に、大西洋から不連続線が移動し、ヨーロッパ東北部を通過す
る。これはイタリア西北部に僅少の影響を与えるに過ぎない。したがって積雲の発生がみられ、曇るか
も知れないが、午後には回復するであろう。当地にしゅう雨があるかも知れない。弱い西北の風が吹く
予定である。後続の不連続線がないため、各地の地勢の相違により、多少の変化はあるにせよ、15日
(土)には完全に晴れ上がる見込みである。」
 結果を先に申し上げておきますと、ここに予報された天候の変化は完全に逆となり、晴天から次第に
曇りがちとなり、15日には今にも降り出しそうであり、最終日には、しゅう雨に見舞われる結果とな
りました。



9月13日
第1ラウンド

 昨夜の説明会で、次の2点が明らかにされました。第1は、テスト飛行では、2台の参加機のうち優
先使用機の送信機だけを選手に手渡し、予備機の送信機葉保管したままであったので、2機を自由に使
うことができなかったのです。この点が選手側から指摘されたため、今日からは、送信機2台ともに選
手に渡されることになりました。したがって従来の慣例解釈どおり、フライト・ラインに2機の模型と
2台の送信機を持ち込み、スタートのための3分問以内ならば、自由に使うことができるわけです。 
第2は、風向と太陽の方向に応じて、審査員の見る方向を変えるという申し合わせです。 競技第1日め
のスケジュールは次のとおりです(2日め以降もこれに準じます)。

  6:00   送信機回収開始
  6:40   送信機回収終了
  7:00   競技飛行開始
  12:30   昼食休憩
  13:30   競技飛行再開
  19:30   競技飛行終了
  21:30   説明会
 
モニターポスト。妨害電波をキャッチ
するとともにフライト・ラインと送信機
保管所に指示を出す。


審査員は次のとおりです。


第1フライト・ライン
   アールツ      NL
  フロイント      A
  グロート        D
  ブリモチック    JU
  ピニョー      F

第2フライト・ライン
  ゼーダーホルム   SF
  ホファー       CH
  ヒル         USA
  カンネウォルフ   I
  ハートリー      GB
             
                            




   電波妨害をを記録するため、競技開催中、
   テープレコーダーが使用されていた
 4回公式飛行では、各フライト・ラインに配置された5名の審査員の採点のうち、最高最低点をはぶ
いて、中間3名の点数を合計します。これは、CIAMの決定どおりですが、アメリカ大会における5
名全部の合計とは異なった方式です。
 競技は予定どおり午前7時から始まりました。グループAのフライト・ラインでは、トフト氏(デン
マーク)、グループBではメルシュ氏(ルクセンブルグ)が競技の幕を切って落としました。
 第1ラウンド、早くも荒れ模様の戦況を呈しました。ページ氏はタイム・オーバー、マット氏はさえ
ずといった中で、プレットナー氏の演技は驚くばかりの正確さと美しさで、昨日のテスト飛行における
ものは、全くのシャミセンひきであったという結論に達しました。カナダ・チームの活躍も、めざまし
いものがありました。カナダの若い世代を代表するソーデン氏は、このラウンドで第2位に入りました
。また、クリステンセン氏(第4位)は、アメリカ大会のときから大きな進歩の跡をみせていました。
 地もとイタリアのベルトラニ氏の飛行は大きな特徴がないにせよ、デザインの国イタリアにふさわし
く、美しく塗装した機体を使って着実に演技し、カビュイン氏(ベルギー)と同点9位になりました。
アメリカ勢が予想を裏切って振わず、ホイットニー、マーチン両氏も10位を割りました。
最も大きく予想を狂わせ、全参加者を驚かせたのは、ほかならぬ日本選手でした。特に、グループB
ラインにおける吉岡選手は、日本で見られなかった技の「さえ」をみせ、晴れ渡ったイタリアン・ブル
ーの空に、優雅な中にもスピーディーな演技を披露しました。演技終了後,審査委員長メナード・ヒル
氏が、日本選手と応援団のたむろする場所へ来て、賞讃のことばを述べたほど感銘を与えたのでした。
 吉岡氏はソーデン氏と同点2位をわかちあいました。続く奥村氏も美技を演じて第7位、グループ
Aラインの高橋選手もよく健闘して第6位、この日早くも、日本チームは順位第1位に躍り出たのです
。 第1ラウンドにおける個人および国別チーム順位の上位者は次のとおりです。(参加選手多数のた
め、できる限り消化する目的で、すでに第2ラウンドの一部が行なわれました。

 個人順位(1R)
  1.プレットナー    A
  2.吉岡        J
  3.ソーデン      CDN
  4.クリステンセン   CDN
  5.マット       FL
  6.高橋        J
  7.奥付        J
  8.バーチ       GB
  9.ベルトラニ     l
10.カビュイン      B

  チーム順位(1R)
    1.日本 2.カナダ 3.オーストリア 4.アメリカ  5.ペルギー

 (注) 今回使用された国名略号: オーストラリア AUS、オーストリア A、ベルギーB 
    ブルガリア  BG、カナダ CDN、チェコスロバキア CS、デンマーク DK、 フラ

   フランス F、日本 J、イギリスGB、ギリシャ GR、アイルラソド EIR、イタリア I

   イスラエル IL、ユーゴスラビア JU、リヒテンシュタイン FI.、ルクセンブルグ L、
   メキシコ MEX、ノルウェー N、オランダ NL、ポルトガル P、西ドイツ D、 スペイ
   ン E、アメリカ USA、南アフリカ ZA、スエーデン S、スイス CH、ハンガリー H。

  

                  
                                      − 続く −
                       
           
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