|
|
|
|
|
1972年度のコントロール・ライン世界選手権大会は、7月13〜17日に、フィンランドの |
|
|
ヘルシンキ市にあるオリンピック・スタジアムで行なわれました。この大会には、日本から大 |
|
|
阪市の山崎与氏が参加し、各国の強豪とともにフライトを行ないました。そこで、本誌では山
|
|
|
崎氏の見た世界大会の様子や各選手の飛行などを紹介していただきました。 |
|
|
|
|
|

− 第2話−
|
|
|
7月10日
各種目の練習風景
|
|
|
7時に起床、シャワー浴び、朝食をとり、外に出ると、フォルクス・ワーゲンのバンでゴチャゴチャ |
|
|
と人が降りてきました。何やら200×1000×700くらいの箱を持って降りてくるではないですか。その |
|
|
中にはスピードで優勝したイタリアのDusiや2位のRicciがいたのですが、私はそのときは全然知りませ |
|
|
んでした。そこへイタリアのスタント・フライヤーが来て、そのスピードとチーム・レースの仲間にさ |
|
|
っそく紹介してくれました。 |
|
|
|
|
|
彼らは朝食をとると出かけるようです。私もぜひ行きたいとイタリアのCappiに頼みました。最初は |
|
|
ダメだと言っていましたが、OKというのでかけ足でカメラを取りに行ってオペルに乗って、コントロ |
|
|
ール・ラインの飛行場へ出かけました。 |
|
|
|
|
|
さて、今日は実にすばらしいスピード機にお目にかかることができました。それはイタリア・チーム |
|
|
のスピード機で、機体は抜群の塗装で、エンジン・カウルの回りはスーパー・タイガーのマークが貼っ |
|
|
てあり、主翼はジュラルミンで普通のF.Å・I のスピード機でしたが、エンジンがスーパー・タイガー |
|
|
X15で、NEWテクニックとして周回数が終ると助手がなにやら叫ぶとパイロットはラインを左手で軽く |
|
|
さわるとエンジンストップしてすぐ着陸。この着陸がまたすばらしく、スピード・バンの下にピアノ線 |
|
|
を出して、プロペラの破損を防いでいました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
この燃料ストップ装置は、フル・ダウンで燃料パイプを止める(しめる)装置にしていました。それ |
|
|
が同じ周回数なのでまた感心しました。それと、すばらしいと思ったのは、エンジン・スターターです |
|
|
。手動式(写真2参照)のスターターで、送風機のようなものに、アタッチメントを取り付けたもので |
|
|
、非常に使いやすいものでした。電動式のスターターを使ったのはイタリア、ドイツ、イギリス、その |
|
|
他の国はすべてこの方式のスターターを使っていました。 |
|
|
|
|
|
さて,次はチーム・レースの練習です。これがまたすばらしい!フォルクス・ワーゲンから一組のア |
|
|
メリカレーシング・チームが大きな箱を持って出てきました。箱はクリヤできれいに塗ってあり、その |
|
|
ふたにはFAIのワシの絵と字がきれいに書かれていました。これはHodgkinsとMcCollum のU.S.Aの |
|
|
チームでした。 |
|
|
|
|
|
前者は、どこかの喜劇俳優かと思われるようなチョビヒゲで,コメディアンのような感じでした。そ |
|
|
して彼がパイロットだと答えてくれました。後者はメカニックで半ズボン、体重90kgはある2枚目のヤ |
|
|
ンキーでした。 |
|
|
|
|
|
左手に圧縮式のポンプをつけて、さあ燃料注入、2秒、燃料が入るとクランク。2発でかかり初練習な |
|
|
のでヘッドのビスの調整を行ないます。離陸速度は140〜150km/h 前後です。 |
|
|
|
|
|
さあ、問題のピット・インです。フルダウンするとエンジンがストップし、メカニックの1/4周前で |
|
|
接地に入ると、メカニックが待っていてつかまえる。クランクして約5秒前後、早い。 エンジンはデ |
|
|
ィーゼルなので、バッテリーの必要はなく、実にすばらしい。さすが世界大会の野郎たち!! |
|
|
|
|
|
パイロットは必ずメカニックのいる1/4周前で着地に入り、助手は一歩も動かずに燃料を入れ出発す |
|
|
るわけです。日本のラット・レースと全然違います。彼らはプロの中のプロです。日本でチーム・レー |
|
|
スが盛んでないのは、よいエンジンとテクニックがここまでいっていないからと思います。このとき、 |
|
|
日本の大会のラット・レースを思い出しておかしくなると同時にかなしくなりました。なぜなら、あれ |
|
|
は子供の遊びで、このチーム・レースは大人の趣味ではないだろうかと… |
|
|
ラット・レースでバッテリーを持ってポンプを持ってひっくり返った飛行機を追いかけるのは,昔の話 |
|
|
しです。何回 ピットインしても同じことで、飛行機はラインの上をすべりメカニックの足元にくるか |
|
|
らたいしたものです。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
● F2B(エアロバティックス)の競技結果 |
参加29名 ● |
順位 |
選手名 |
国名 |
@ A 合計 |
エンジン |
1位 |
W.Werwage |
アメリカ |
2947 2994 5841 |
S.T.46 |
2位 |
J.Gabris |
チェコスロバキヤ |
2808 2858 5666 |
MVVS35 |
3位 |
B.Jurecka |
チェコスロバキヤ |
2816 2783 5599 |
MVVS35 |
4位 |
L.Eskildsen |
デンマーク |
2803 2776 5579 |
Merco61 |
5位 |
L.v.d.Hout |
オランダ |
2681 2891 5572 |
Veco45 |
6位 |
R.Gieseke |
アメリカ |
2640 2879 5519 |
Fox35 |
7位 |
V.Esjkin |
ソビエト連邦 |
2721 2769 5490 |
Akrobat40 |
8位 |
I.Cani |
チェコスロバキア |
2752 2712 5463 |
MVVS35 |
9位 |
L.Compostella |
イタリア |
2704 2754 5458 |
S.T.46 |
10位 |
K.Plotsin |
ソビエト連邦 |
2699 2700 5399 |
Merco35 |
11位 |
S.Blake |
イギリス |
2632 2737 5369 |
Merco35 |
12位 |
S.Rossi |
イタリア |
2557 2710 5267 |
S.T.46 |
13位 |
O.Aldersson |
スウェーデンカ |
2618 2578 5196 |
Fox35 |
14位 |
G.Phelps |
アメリカ |
2544 2650 5194 |
S.T.40 |
15位 |
E.KondrateIlko |
ソビエト連邦 |
2510 2676 5186 |
Fox35 |
以上は決勝戦ラウンドの合計点。以下は予選2ラウンドの上位の記録
|
16位 |
A.Yamazaki |
日本 |
2376 2476 |
ENYA45 |
17位 |
J.Mannall |
イギリス |
2183 2465 |
Merco35 |
18位 |
C.Cappi |
イタリア |
2266 2366 |
S.T.46 |
19位 |
J.Newnham |
イギリス |
2173 2291 |
Meco35 |
20位 |
A.Metkemeyer |
オランダ |
2202 2245 |
S.T.35S |
21位 |
P.Tupker |
オランダ |
2017 2145 |
Fox35 |
22位 |
Fjord |
デンマークリス |
1722 2027 |
OS35 |
23位 |
H.Meder |
フィンランド |
1974 2027 |
OS40 |
24位 |
C.Maikis |
西ドイツ |
1093 1922 |
OS40P |
25位 |
J.Constantacatos |
ギリシャリス |
1906 1911 |
OS35S |
26位 |
S.Aaltio |
フィンランド |
1713 1894 |
--- |
27位 |
R.Berger |
リス |
1732 1861 |
Fox35 |
28位 |
A.Keller |
スイス |
1612 1699 |
Veco45 |
29位 |
J.Fernandez |
キューバ |
696 745 |
MVVS35 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ここで外国のコントロール・ライについてですが、スタント参加者の平均年齢は30歳、チーム・レー |
|
|
スで30歳、スピードで40歳といったところで、日本と相当ちがいます。 |
|
|
|
|
|
ちなみに、アメリカのスタント・ジャッジに、コントロール・ラインのマニヤは何人くらいいるかと |
|
|
聞いたら、70%はラジオ・コントロールで、30%がコントロール・ラインのマニヤだと教えてくれま |
|
|
した。それでも、全米大会を見ると、オープン、ジュニア、セニアと別かれて全種目をやる人間が集ま |
|
|
るところを見ると、アメリカの模型人口の大きさにびっくりせずにはいられません。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
外国での人気の順は、チーム・レース、スピード、スタントと、日本の反対であるのもおかしいとこ |
|
|
ろです。外国のマニヤたちを見ているとこれは大人にしかできないこと、こんな感じを受けるのです。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
ある模型屋さんは、スピード機のスピンナーを見て、「こんな危険な物を売るのはけしからん」とい |
|
|
ったそうです。けしからんのはどちらで、いかにスピード機のスピンナーがスピードの向上にたいせつ |
|
|
かを彼は知らないので、こんな人間がいるかぎり、時速250kmの記録は日本では、でないかも知れま |
|
|
せん。しかし、小川精機のベテランをはじめ、日本にも熱心なでニヤがいるではないですか。彼らなら |
|
|
ヒョッとすると250km/h にトライすることが可能かも知れません。とにかく世界は広い。50歳のオ |
|
|
ジサンが250km/h 出したんだから。 |
|
|
|
|
|
|
 |
|
|
|
写真4 Hodgkins-McCollum組(アメリカ)の
チームレーサー。左手に付けた燃料ポンプに注意! |
|
|
|
|
|
|
|
|
ここで、イタリアのスピード・マンRicchと仲良くなって(得は白髪のあるイタリア人特有の顔で非 |
|
|
常にジョークの好きな人)、僕を子供のような扱いでいろいろめんどうをみてくれました。不思議に |
|
|
言葉は通じなくてもわかるもんです。 |
|
|
|
|
|
彼はスーパー・タイガーの工場レーサーなのかも知れません。胸にスーパー・タイガーのワッペン |
|
|
(競技会終了後もらった)を付けていました。 |
|
|
|
|
|
彼は食事のときに、俺のエンジンは248km/h でAMATO(4位)は246km/h だと自慢そうにい |
|
|
ったので、日本のOS15スペシャルは235km/h 出るんだ、と言ってやりたかったけど、次回のチェコ |
|
|
スロバキヤの世界大会では、きっと日本のスピード屋といっしょに参加するからと言ったら「good |
|
|
good」といってほめてくれました。 |
|
|
|
|
|
さて、この日は午後4時にホテルに帰ってきました。またヒマなので、つり道具を持ってミミズ探し |
|
|
にホテルの周りをウロウロしていたら、ワーゲンのパスにアメリカのフェルブスが飛行機を積んでいる |
|
|
ではないですか。どこに行くのかと聞いたら「フライト」と答えたので、私もフライトしたいと言った |
|
|
ら、いっしょに来いとのこと。こりゃしめたと思い、急いでホテルの部屋から飛燕と道具を引っ張り出 |
|
|
し、いっしょにワーゲンに乗ってでかけました。あの有名なワーウェージもいっしょに乗ったことをお |
|
|
忘れなく。もちろんジーセク・ノブラーもありました。 ここで、ジーセク・ノブラーについてですが |
|
|
、やはり日本で紹介された図面と同じで、塗装は茶色、主翼と胴体に白い線が入り、紺で縁取りし、ス |
|
|
パッツもあり、特徴の尾輪は長く、まさに三車輪と同じ高さの二車輪や、フェプルスの機体と同じで、 |
|
|
ライン・ガイドの位置が10カ所くらい穴があいていました。それと変わったところは、ブースターコー |
|
|
ドはテレビのイヤホーンと同じに差し込み式で、プラグに直接つなぐ必要はなくワンタッチ方式です。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
ハンドルは調節用ハンドル、機体の仕上げはA級、ケチのつけるところなしといったところです。フ |
|
|
ライトは正確無比、角はゆるい感じで、何回やっても下の高度と上の高度が同じところにきます。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
● F2C(チーム・レーシング)の競技結果 |
参加42チーム ● |
順位 |
選手名 |
国名 |
ベスト記録 |
エンジン |
1位 |
Plotsin-Timofeev |
ソビエト連邦 |
8分30秒4 |
O/D |
2位 |
Kamarenko-Kraznorutsky |
ソビエト連邦 |
8.47.4 |
O/D |
3位 |
SllapOValov-Onufrienko |
ソビエト連邦 |
9.12.7 |
O/D |
4位 |
Hodgkins-McCollum |
アメリカ |
4.26.5 |
ARM |
5位 |
Trnka-Drazek |
チェコスロバキア |
4.37.5 |
MVVS |
6位 |
Votypka-komurka |
チェコスロバキア |
4.37.5 |
MVVS |
7位 |
Safler-Kodytek |
チェコスロバキア |
4.38.3 |
MVVS |
8位 |
Rivold-Geschwendtner |
デンマーク |
4.39.8 |
S.T.G15RV |
9位 |
Penso-Marini |
イタリア |
4.40.2 |
S.T.G20/15D |
10位 |
Nore-Ekbolm |
フィンランド |
4.44.9 |
S.T.G15RV |
11位 |
Timev-Rashhov |
ブルガリア |
4.44.9 |
S.T.G15RV |
12位 |
Metkemeye-Metkerneye |
オランダ |
4.45.5 |
S.T.G20/14 |
13位 |
Devenish-Davy |
イギリス |
4.46.9 |
HP15D |
14位 |
Stockton-Jeblik |
アメリカ |
4.48.2 |
ARM |
15位 |
Dunkin-Wright |
アメリカ |
4.48.7 |
HP15D |
1〜3周までは決勝戦(200周)、以下は2ラウンド中の上位成績(100周)
|
|
|
|
|
|
|
|
さて、注目のワウェージの機体。これは実にすばらしい。まさに天才というより他にないでしょう。 |
|
|
半リブの主翼、特徴のある翼端、短い主車輪、スーパー・タイガーにエクステンション・シャフト、
|
|
|
40mmの先のとがったスピンナー、プロペラはトーネードの三枚ベラ、ユニークな形のエンジン・カウ |
|
|
ル、そしてまさにすばらしいのは塗装技術です。 |
|
|
|
|
|
日本でラジコンの最高品MKのサンダーバードMKVを見たときもおどろいたけれど、このワーウェー |
|
|
ジの機体を見て、ほんとにおどろきました。文章でどう書いたらよいかわからないくらいで、小さなリ |
|
|
ベット・ライン、USA−1と書かれた三色混合の小さな字、とにかく数字と文字だけでも150以上ある |
|
|
のではないでしょうか。それに六角形や丸が、ちょうど針の先の太さで書かれているのでびっくりしま |
|
|
した。それにプロペラにもP=2.45とか いろいろな文字、数字が記入してあり、スピンナーにもすべ |
|
|
て機体と同じ塗装がしてありました。文字通り、芸術品と呼ぶにふさわしい機体です。 |
|
|
 |
|
|
写真6 ジーセク・ノブラーを持つR.Gieseke選手 |
|
|
|
|
|
|
|
|
とにかくワーウェージはアメリカ人にしては小さく、165cmくらいで体重70kgいつもスマイルを欠 |
|
|
かさず、ヒゲをのばしていました。機体も天下一品ならフライトも正確で完璧な演技で、今大会最高の
|
|
|
ものでした。あの飛行機を日本のフアンの人に見せられないのが残念です。しかし、ここでアメリカの |
|
|
二人のフライトについて述べてみますが、やや日本と違っている点だけについて書いてみます。 |
|
|
|
フェルブスの飛行について
|
|
|
|
|
|
ハイ・スタント。高度はやや高く(下で1.8mくらい)。45°の高度で55°くらいあります。当然た |
|
|
て8字は頭上を越えます。角は三人の中で一番にぶく、機体の中でジェット・ライナーくらいにあたり
|
|
|
ます。ですから四角や三角の演技は大きくなります。 |
|
|
|
ジーセクの飛行について
|
|
|
彼のノブラーは、水平飛行や背面では全然動かず、全く安定が良く、下の高度は1.2mで日本と同じ |
|
|
です。角はやや鋭く、ペコは全然なく、美しい演技でした。 |
|
|
|
|
|
ワーウェージの飛行について
|
|
|
美しい飛行機は飛んでも美しい。実に安定よく、かっこう良く、エンジンの回転も全く一定で、下の |
|
|
高さも一定で、高度50°度くらいの頭上8字や角のあとのピッチングは全然なし。よく考えると3人とも |
|
|
ピッチンクは全然やらないわけで、さすが世界のN0.1だと思いました。全体のまとめや演技と演技の |
|
|
つなぎは、やはりワールド・チャンピオンの名に恥じないフライトでした。そして4番目に僕が飛ばし |
|
|
ました。ジーセクいわく、「角はすばらしいが、ペコはだめだ」。やや安定が悪いと言われたが、しか |
|
|
しいまさら重りを積むわけにもいかず、日本と同じ飛ばし方で本番に臨んだのです。
|
|
|
 |
|
|
写真7 G.Phelps機「ペンター」は
主翼がカムロックで止めてあった。 |
|
|
|
|
|
7月11日
練習飛行
|
|
|
8時起床。HOTELの庭に出るとまたイタリアのチームが練習に行くのでまた私も行きたいという今度 |
|
|
はダメだといわれました。仕方がないので、またウロウロしていたら、イタリアのCappiが呼びに来て |
|
|
、乗れと言ってくれました。 |
|
|
|
|
|
とにかく、イタリアのスタントを含めて全部の選手が、練習に熱心です。まさに飛ばすこと練習する |
|
|
ことをモットーにしているらしく、一日に10回以上は飛ばすようです。ホテルのグランドまで車で約 |
|
|
30分、朝10時に出て夜の8時に帰るという熱心さです。 |
|
|
|
|
|
さて、この空港の昼休みの食事はたいへんおいしく、ビフテキにフルーツがたくさんありました。 |
|
|
私はイタリアのマガジン屋で、イタリアのチーム・マネージャーといっしょにすわったので日本のUコ |
|
|
ン技術とイタリアの雑誌を取り替えることで話しをLました。帰ってくると、またイタリアのスピード
|
|
|
・マンたちがホテルのロビーで一杯飲んでいました。するとRicciが来いというのでいっしょにウイスキ |
|
|
ーやスパゲティをごちそうになました。その席には有名なスーパー・タイガーの社長の息子もきていて |
|
|
、サッカーやダンスをやり、イタリアの三人に日本のタイピンをプレゼントしました。さあ、明日は全 |
|
|
集員合の日です。 |
|
|
|
|
|
7月12日
参加受け付け
|
|
|
9時に深い眠りからさめ、外に出るとイタリアの車はもう練習に行ってしまって、いませんでした。 |
|
|
さすがに早い。はじめて今日はおいて行かれてしまった…。 |
|
|
しかたがないので、ヘルシンキ市でシャツやリンゴを買い,食事をしてパスで帰る途中,ガブリス(チ |
|
|
ェコ)によく似た人と出合い受した。ヒョッとするとガブリスではないかなと思い、聞いてみました。 |
|
|
「You. Gabris?」すると「Oh,YES」というではないですか。年令45歳、はらぽて160cmのいかに |
|
|
もジェントル・マンというようなスタイルです。日本にもスーパー・マスターがあるというと、サンキ |
|
|
ュー、サンキューといって握手してくれました。 |
|
|
|
|
|
ホテルの部屋に帰るとメモがあり、電話せよとのことしてはたどこに電話がかかるのか、おそるおそ |
|
|
るダイヤルを回して見ました。すると日本語で「チヨットマッテクダサイ」とカタコトで答えてくれま |
|
|
した。ひょっとすると日本大使館ではないかなと思い、しばらくすると日本のしゃべりかたで、「どち |
|
|
らさんですか」というので、「山崎与と申しますけど、電話もらったのですが、何か用事ですか」とい |
|
|
うと、ものすごい言いかたで「あんたどこに電話してんの、ここは日本大使館やで」といったので頭に |
|
|
きて、電話をきってしまいました。ヘルシンキで日本人から電話があったらもう少していねいに答えて |
|
|
くれたらいいのにと思いました。 |
|
|
|
|
|
7月12日午後3時よりホテルで、競技の受け付けが始まりました。受け付けへ行ってATAE-YAMA |
|
|
SAKIというと、いろいろな書類やカードをくれました。 受付にてピメノフ氏やモルトン氏への手紙 |
|
|
を渡しました。受け付けの人は、一人はピメノフ氏の奥さん、もう一人はマリヤという女の子。これか |
|
|
らも毎日会えると思うとうれしくなるほど美しい人たちです。 |
|
|
いろいろなカードの中には食券も入一つ入っていたので、となりのレストランに食事に行きました。こ |
|
|
こでは、やはり肉料理が主体でした。ホテルのロビーに帰ると、日本人の団体が来ていました。すぐ話 |
|
|
しかけました。すると東京や福岡の建築会社の社長ばかりということでさっそく名刺をもらって仲良く |
|
|
なりました。 |
|
|
|
|
|
7月13日
公式練習
|
|
|
さあ、今日は公開練習の日です。7時には会場行きのパスがでるので、早く起きて朝食をとります。 |
|
|
とにかく、ホテルの部屋で一人で寝ているので、ネポウしたらたいへんです。この世界大会に一人でき |
|
|
ているのは私一人で、最低2人は来ていました。やはりチーム・マネジャーといっしょにくるのが本当 |
|
|
でしょう。 |
|
|
|
|
|
さて、パスで会場につくと、またイタリアの人たちが練習していました。彼らはイタリアから陸送で |
|
|
来ましたので、車つきだから一人最低2機は持ってきていました。そのうちにホールにて桟体の検査が |
|
|
はじまりました。機体検査は10時30分からベルギー、ドイツ、ブルガリア、キューバ、チェコ、デン |
|
|
マーク、フィンランド、イギリス、ギリシャ、オランダ、イタリヤ、イスラエル、日本、ポーランド、 |
|
|
スペイン、スウェーデン、スイス、アメリカ、ソ連の順で行なわれ、日本は14時05分からでした。 |
|
|
|
|
|
さて、私の時間がきてみると、重さをはかり、スポーツ・ライセンスを見せたまではよかったが、国 |
|
|
内でのFAIの検査合格証が機体に貼ってないので、なかなかうまくいきませんでした。この前にフィン |
|
|
ランドの会長であるピメノフの航空代理店で働いている日本人の仲井という青年を通訳のかわりに使っ |
|
|
てもよいといって連れてきてくれたのでいっしょに検査に立合ってもらいました。 |
|
|
|
|
|
さあたいへん、飛行機の原寸の図面を見せてもNo!というし、一体何がいるというのだ。日本では |
|
|
何ももらってならし…、そうしてもめていると、イタリアのRicch がきて、なにか飛行機に貼ってく |
|
|
れて、A、B、Cと書いてあるBを丸で囲んでくれました。これでOKということで合格したのですが、こ |
|
|
こで日本のJMAの役員に一言。日本を出発する前にF.A.Iの合格証を張るように必ず実行してほしい |
|
|
ものです。今回ははじめてなので仕方がないとしても、‥。 |
|
|
|
|
|
しかし,3年前にフリーフライトの木引氏も同じ失敗でもめたらしい。くれぐれもご注意!!さて、 |
|
|
私の公式練習の順になり、2回ほど飛ばしましたが日本と同じ調子でニードルも燃料もいっしょです。 |
|
|
そのとき、観客の中から「がんばれ」と日本語で応援してくれる人がいるではないか。よく見るとホテ |
|
|
ルで知り合った社長とその奥さんです。今日はチームマネージャーの会談があるので仲井さんといっし |
|
|
ょに参加しました。役員の紹介。ジャッジの紹介、フライトのくじ引きの紹介、これは受付嬢が一手に |
|
|
引きうけてくれました。そして、第一ラウンドのフライトはデンマークに次いで2番目となりました。 |
|
|
次号へ続く |
|
|
 |
|
|
|
|