No.002
2013年6月3日
 かねがわ  しげる    
金 川 茂 氏

(1951年9月13日〜
          
模型航空フリーフライト殿堂 002 金 川 茂 氏
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〔プロフィール〕
フリーフライト競技に参加し始めたのは20歳代で、同時にラジコンにも興味を持っていた。
東京選手会のメンバーとなった後、国内級競技でエンジン機やグライダーを主に飛ばしていた。
模型連盟のフリーフライト委員となり、興味は次第にF1Cへ。初参加の1997年チェコ世界選手権を皮切りに連続7回F1Cで代表選手として世界選手権に出場。 2005年アルゼンチン大会で世界チャンピオンに。ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ次回2007年ウクライナ大会は2位。
大震災で不参加の2011年のアルゼンチン大会は、前回のクロアチア大会で持ち帰ったトロフィー返却だけのために団長の職務としてアルゼンチン往復の旅へ。
機体名の八雲(YAKUMO)は、雲が湧き出るという古事記の和歌を元に、青い空と雲をバックにして愛機が飛ぶ姿をイメージしたところから名づけられた。





〔競技歴(国際競技のみ)委員会活動〕
1997年 チェコ   13位 
1999年 イスラエル 11位 
2001年 アメリカ  23位
2003年 ハンガリー 11位
2005年 アルゼンチン1位
2007年 ウクライナ  2位
2003-8年 フリーフライト委員会委員長
2008年 日本模型航空連盟(JMA)副理事長
2011年 理事長


〔世界選手権の思い出〕
フリーフライト競技を始めたのはそれほど早くはありませんが、東京選手会へのお誘いがきっかけです。機体作りの名人でも、飛ばす技術がピカイチのモデラーでもありませんが、仕事柄、海外に出る機会が多かったため、機会を捉えて有名選手宅を訪問し、彼らの模型に対する取り組みに直に触れたことが、その後の模型活動に非常に有利に働いています。
「いつかは彼らを越えたい」という思いを持ち続け、世界選手権には初回から副団長兼務で出場し、ほとんどの大会を団長兼務で出場しました。イスラエル大会ではタイマーセットミスがなければあわやチャンピオン?という経験もしました。

アルゼンチン大会は「全てがうまく行った」と表現できますが、それは出発前に壊して修理を終えた機体で臨みましたが、現地の練習では不思議なほど仕上がりが良く、その結果としてタイトルを手にしましたが、「団長だから皆のためにやっているので成績が悪くても仕方がない」という、無欲の勝利だったかもしれません。同時に選手団のサポートがなければ出来なかったことです。
 完全自作機ではありませんが、良いと思われる技術は自分なりに吸収して積極的に取り入れ、フライオフで世界のスーパースター達と競い、その結果としてチャンピオンタイトルを得た時は「私がチャンピオンで本当に良いのか」と思いました。ディフェンディングチャンピオンとして臨んだウクライナ大会では、フライオフで負けこそはしましたが、開催国ウクライナ選手との一騎打ちは記憶に残る思い出です。
模型航空フリーフライト殿堂 002 金川 茂 氏

〔仲間から〕
《津田晃英》 今回金川さんが殿堂に選ばれ大変喜ばしいことだと思うと同時に金川さんの実績からすればしごく当然なこととも思います。
確かに70年代の一時期ともにガスフリーを飛ばし親しい付き合いもしていましたが、その後私の3年間のインドネシア、5年間のオーストラリア駐在などでテレコテレコになっていましまい一緒に飛ばすことはありませんでした。93年帰国してからも日本選手権で顔を会わせる程度の付き合いになりました。
別々に飛ばしていたとは言え、振り返ってみると1990年代の終わりから特に2000年代に入ってから、金川さんのF1Cは、これはもう破竹の勢いで成果が上がり、これなら近いうちに世界選手権を取るなと思わせるほどのものを感じていました。
さて、2005年、アルゼンチンでのFF世界選手権、F1Cクラス、金川さんの世界選手権が懸かったフライオフ、その光栄あるアシスタントを私が勤めさせていただくめぐり合わせになったのです。
結果は皆さんご承知の通り金川さんの大勝利。自分のことの様に嬉しく、F1Cはあまり一緒にやった事はなかったのに、TDエンジンつきのガスフリーを一緒に飛ばしていた、なにか昔からの因縁めいたものをを感じました。
金川さんはもちろん私の模型仲間だが私にとってはそれをもう一つ乗り越えた存在です。
金川さんは一言で言えば努力の人、また努力を必ず成果に結びつける能力を持った不思議な人と思います。それは彼の職業上の経歴、FFの実績、模型団体での貢献等あらゆる面、全てで実現されています。
会って始めのころ工科系の20代の若い人ー私も30代で若かったーと思っていたのですがこれが色々話してみると私の専門の金融界のみならず実業界のことについても該博な知識と意見を持っておられこれは大変な人だと感じました。
やっぱり、金川さんの世界選手権制覇は模型界ではまれなこのような広範な知識や自分の努力に裏打ちされた全人格的な成果だったのでしょう。
ご存のとうり、柔らかそうでいていざとなると断固決断する能力ももっておられ、こういう人こそ殿堂にふさわしく、これ以上の人はいないと思います。


《吉岡靖夫》 金川さんは私がフリーフライト委員会の委員長だった後を継いで2003年から委員長に就任して業務を積極的にこなしその間の2005年に世界チャンピオンになられた。
それに先立つ2005年2月に私はボブ ホワイトのお誘いを受けてLost Hills でのMaxmen Internationalに出場した.その会場で私が日本人と分かると何人もの選手から「Shigeru Kanegawaはどうしている」と問われた。
そして異口同音に「彼はNice Flyer そしてNice Guyだ」という。それを裏付けるようにその年の5月に世界チャンピオンになったのは誰もが予期していた出来事であったのであろう。
惜しまれるのはディフェンディングチャンピオンとして出場した次の選手権で連覇がなされず2位に終わったことである。
 氏は模型普及活動にも熱心でモンゴルでの競技会の際も教室を開き多くの子どもに作り飛ばす楽しみを体験させている。
又、同国の選手に世界選手権に使ったF1Cを複数機贈呈してレベルアップに貢献しておられる。


八雲の図面

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